2012年8月3日金曜日

恩師

恩師の訃報が届いた。
コンテンポラリー舞踊の第一人者 若松 美黄先生。(画像右のレオタード姿の男性)

両親が新婚時代に住んでいたアパートの上階に妖精のように美しい女性が住んでいて、好奇心旺盛だった亡母は、何とかお友達になりたいと思っていたらしい。
洗濯物を干していたとき、上からヒラヒラと紙切れが落ちてきて、母はキャッチした。 助けて!と書いてあったそう。 母が2階に駆け上がると、男性が玄関の前でドアを叩いていて、母は追い払った。そんなことが度々あるほど、キレイな女性だったのだと母から聞いている。
そんなご縁で、その女性が 当時は珍しかった モダンバレエの踊り手、津田郁子先生(画像で花束を受け取っている女性) だと知り、母は、女の子が産まれたら必ず津田先生のお教室に通わせようと決めていたらしい。

アタシがレオタードとシューズを買ってもらって、モダンバレエを習い始めたのは4歳になったばかりの頃で1966年。 ニュースでは、津田郁子 若松美黄自由ダンススタジオを開いたのは 1968年になっているから、実際はそれ以前から教えていたことになる。多分、第一期生。

毎週土曜日のレッスン、年に一回の発表会のほか、夏合宿もあった。他のダンススタジオとの合同発表会もあったし、ソロで踊らせてもらえるようになってからは、何回かコンクールにも挑戦した。
15歳でやめるまでお世話になり、その後のアタシは、ジャズダンス、クラシックダンス等々を続けていた。

津田先生と若松先生のスタジオはとてもモダンだった。拾い稽古場の一面は鏡張りで、バーが設置されていて、更衣室があり、数段階段を下りるとキッチンがあった。 別姓を名乗り続けていたので、夫婦なのかは判らなかったけれど、憧れていた。

若松先生は、子供に対しても大人と同じように接する方だった。人間の身体がいかに素晴らしいか、踊る時の呼吸法、食事制限など、様々なことを教えて頂いた。

たった一度だけ、若松先生と2人で舞台に立つ機会があった。 アタシが中学生の時だったと思う。
先生はアタシに、「衣装の事なんだけど、テープを身体中に巻きつけて裸に近いのを考えているんだよ」と言った。 実際には、肌色のレオタードだけだったように記憶している。ダンスの途中でリフトがあった。走ってジャンプしたアタシを、先生が肩に乗せて受け留めて回転するというもの。
信じてジャンプすれば良いだけだと言われ、そうしてみたら、アタシの身体はふわりと空中で受け留められたのである。 
もう一度、先生の舞台を拝見したかった。 
ご冥福をお祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿