2011年7月21日木曜日

お母さ—ん命日ですよ〜

声に出して呼ぶことは無くなったけど、お母さんの事は、かなり頻繁に話題に上り、思い出してもいます。 夢にも現れないってことは、そちらで、念願の歌手になって、売れっ子なんだろうね。 アタシは、お母さんが望んでいたような雰囲気の女性とは、多分、丸反対の感じで生きてるよ。 そして、お母さんがそちらに旅立った年齢に近づいています。同じ位の人生で充分と思いつつ、もしかしたら、超えるかもしれないとも考えるこの頃なんだよね。
未だに答えが出ないのは、お母さんに、命の終わりが迫っている事を、伝えるべきだったんじゃないかなって事。知りたかった? 知りたくなかった? 知ったら、何か言い残してくれたかもしれないのに…と、勝ってに想像しています。
さて、こちらでは、携帯電話と言う物が普及して、いつでも何処でも、誰とでも、話したり、メールをしたり出来るようになっております。 しかしながら、此方とそちらでの通信は不可能。残念だよね。
病の床で、最期まで気にしていた人の事だけ、報告するね。お母さんが会いたがっていた、生みの母親は健在で、意外に近いところに住んで居ました。
お母さんの事を気にかけて居たそう。波乱万丈の人生を話してくれたよ。そして、アタシに、手編みの篭バッグとブローチをプレゼントしてくれたの。 色んな事情があって、なかなか会えないけれど、3年前までの消息は確認済み。 お母さんにとても似ていて、華やかで明るい人でした。 良かったね。
お母さんとの別れは、アタシにとって、言葉で言い表せないほどの衝撃でね…。 斎場の入り口で泣き崩れる人もたくさん居たんだよ。 アタシは、ずっと握りしめていた、涙でグショグショになったハンカチを、1度も洗わずに封印しています。
いずれそちらに行くわけだから、その時は、お土産持って行くね。必ず訪ねて行きますので、一緒にご飯を食べましょう。お父さんとは別々にね〜(笑)
それまで、気まぐれに見守って居て下さい。

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